先日、旅行雑誌の休刊記念イベントに行った際にイエメンの話が出たので、
写真など見返してたら懐かしくなってきたのでupしてみます。
サナア市街の町並み。その美しさ、特異性は多くの旅人を魅了して止みません。
シリアもそうですが、家に招いてお茶をご馳走してくれたおじさん、バスの乗り方を教えるついでに切符も買ってくれたおじさん、
アッラーへの帰依と八百万の神の信仰の違いを訪ねてきた青年達は今無事なのでしょうか。
彼らが望む状態が達成出来るかは分かりませんが、まずは無事でいて欲しいです。
今更ですが、やはり平和であるってことは素晴らしいですね。
サナアのレーズン売りのおじいさん。さぞかし無骨な感じの人なのかと思いきや、
写真撮影をお願いするとそれとないポーズも取ってくれた。
尚、ガラベーヤ(民族衣装)の上にジャケットを羽織るのがイエメンのビジネスカジュアル。
崖の上の村落、というか一軒家?
田舎の町のゲストハウスにサレハ大統領の写真が・・・。
私が特に鈍感なのか、旅行者としての立場からはイエメン人が抑圧されている感じは全く受けませんでした。
機械化とは程遠い、昔ながらの耕作風景。ちなみに、作物はコーヒーです。
子供がかわいいのは万国共通ですね。
尚、イエメンは人口増加率3%で、人口の半分を15歳以下が占めているという、
途上国にありがちな人口ピラミッドを形成しているようです。
http://www.irinnews.org/PrintReport.aspx?ReportId=88704
http://www.irinnews.org/Report.aspx?ReportId=88522
にしても、15歳以下が人口の半分っていう割には、
そんなに子供・少年少女の姿を見かけなかったような・・・。
彼ら未来の世代のためにも、少しでもいい環境を残せるようにしたいものです。
もしイエメンに行く方がいたら、カートを一回トライすることをお勧めします。
あの何とも言えない虚脱感、もう一回味わいたいです・・・。
2011年9月4日日曜日
書評7: インシテミル(米澤穂信著)
定期的に流行してる感のある密室でのサバイバルゲームもの。
本作では、12人の男女が破格の高給バイトにつられて参加し、
疑心暗鬼になっていく様子と驚愕のラストが読者を待つ!って感じ。
この手の作品は、読み進みながらからくりやトリックなんかを考えながら読めるので、
個人的には割と好きなジャンルだし楽しんで読める。
ただ、登場人物の設定や心理描写に納得できず引っかかる部分があると、
それだけで途端に作品全体の面白さが減退してしまう。
本作の場合は、主人公ののんきさの描写、登場人物の鈍感さと
劇中で発生する殺人の血なまぐささの対比が非常に不自然に感じた。
自分もそうだが、多くの人は他殺体なんて滅多にお目にかかるものでもないだろうし、
ある程度予想された事態とは言え、ぽんぽん周囲の人が殺される状態
(そして自分が殺されるかもしれない状態)で、正気を保っていられるものだろうか?
まぁ、平静を失って混乱する参加者続出では、推理小説としての面白みがなくなってしまうが・・・。
人によってはこういう淡白な物語運びの方が好き、という人もいるだろうから、
どれくらいの感情表現の粘度を好むかは個人の嗜好の問題かもしれない。
それと、作中の番人ロボ(?)がいかにも物語の辻褄合わせのために作られた存在の様に感じられた。
いや、実際そうなんだろうけども・・・。尚、自分の頭の中ではこのロポットは「強面のコロ助」でした。
本作は映画化も既にされているようだが、当然見ていないし今後も特に見たいとも思わない。
独断と偏見に基づいて評価すれば、「長い休みや旅行の前に図書館の書棚で見つけた」などの場合は
借りて(買うまでもない)読んでみてもよいのではないだろうか。
本作では、12人の男女が破格の高給バイトにつられて参加し、
疑心暗鬼になっていく様子と驚愕のラストが読者を待つ!って感じ。
この手の作品は、読み進みながらからくりやトリックなんかを考えながら読めるので、
個人的には割と好きなジャンルだし楽しんで読める。
ただ、登場人物の設定や心理描写に納得できず引っかかる部分があると、
それだけで途端に作品全体の面白さが減退してしまう。
本作の場合は、主人公ののんきさの描写、登場人物の鈍感さと
劇中で発生する殺人の血なまぐささの対比が非常に不自然に感じた。
自分もそうだが、多くの人は他殺体なんて滅多にお目にかかるものでもないだろうし、
ある程度予想された事態とは言え、ぽんぽん周囲の人が殺される状態
(そして自分が殺されるかもしれない状態)で、正気を保っていられるものだろうか?
まぁ、平静を失って混乱する参加者続出では、推理小説としての面白みがなくなってしまうが・・・。
人によってはこういう淡白な物語運びの方が好き、という人もいるだろうから、
どれくらいの感情表現の粘度を好むかは個人の嗜好の問題かもしれない。
それと、作中の番人ロボ(?)がいかにも物語の辻褄合わせのために作られた存在の様に感じられた。
いや、実際そうなんだろうけども・・・。尚、自分の頭の中ではこのロポットは「強面のコロ助」でした。
本作は映画化も既にされているようだが、当然見ていないし今後も特に見たいとも思わない。
独断と偏見に基づいて評価すれば、「長い休みや旅行の前に図書館の書棚で見つけた」などの場合は
借りて(買うまでもない)読んでみてもよいのではないだろうか。
2011年8月7日日曜日
書評6 渇水都市(江上剛著)
江上剛の作品は以前にも読んだことがあり、良いイメージがあったので本作も読んでみる気になった。
以前読んだ作品は金融関係の小説で、銀行・金融関係で重要なキャリアを経てきた彼の知識が
存分に発揮されていて読み応え十分の作品だった。
本作「渇水都市」は何も事前情報なく図書館の書棚から拾い出した作品だったが、
ハードカバーの表紙とタイトルから「未曾有の熱波が都市を襲うパニック小説」の類だと思っていた。
だが、実際は・・・・。
*以下、ネタばれを大いに含みますので、ご覧になる方はご注意下さい。
舞台は近未来の東京。国家・地方財政状況の極度の悪化により、水道事業は民営化され
水メジャーのウォーター・エンバイロメント社(以下WE社)の管理下に置かれた。
WE社は貴重な資源となった水をビジネスの道具とし、水道代は公共サービス時の10倍にもなった。
謎の奇病「青斑病」が乳児に流行する中、WE社末端社員の海原剛、ジャーナリストの水上照美らと、
WE社社長と野心家の部下の間で環境をめぐる戦いの幕が開かれる・・・。
物語のリード部分はおおざっぱにはこんな感じで、至極まっとうに楽しめそうな作品なのだが、
中盤から話の雰囲気ががらりと変わってしまう。
ダムでの魚の大量死の原因を探りに主人公達が赴くと、主人公は突然のダムの渦巻きに呑まれてしまい、
「水の国」に連れて行かれてしまう。この時点で、あれ?そういう展開になるの?という感じだが、
主人公の海原が水の国の亡くなった王の息子、つまり次の王と明かされ、「おいおい」感は益々強まって行く。
その時点で、読む前に抱いていた作品への先入観、期待感は既になくなっており、
それに代わって「この話、どうやって終わらせるんだろう・・・」という好奇心のみで読み進むようになった。
読者の唐突感が消化する前に、主人公海原は王としての自覚に目覚め、部下達にそれらしい指示を出し始め、
途中で別れた元上司は敵方に取りこまれ天晴れな程の小物悪党になっていく。
その後も、水の国の戦士(異次元?にある水の国により選ばれた、修行僧の様な格好で戦う集団)同士でのテレパシー、
警察に追い詰められた際にはワープゾーンを作り出して脱出、などトンデモ展開は続く。
いや、もともとファンタジー路線の物語だったのなら、これが王道なのだろうか?
クライマックスでは、水の国の戦士達が悪の巣窟であるWE社本社ビルに突撃し、
子飼いの警官隊、特殊部隊とドンパチやりながら総大将を目指すという、ゲーム的な展開となる。
ちなみに、水の国の戦士の武器は波動砲なるもので、麻酔銃のようなものらしい。もう何でもあり。
総大将達との対峙の中で明かされる驚愕の真実・・・・と言いたいところだが、ここでも自分の期待は裏切られた。
なんと、WE社自体も水の王国の先王の意思で創設され、水の大切さを庶民どもに理解させるためのものだった。
散々人道的な団体(国?)であることをアピールしておいて、自分達の存在意義のためには
社会の恣意的な変革、それに伴う混乱と経済弱者の虐殺を敢行して悪びれる気配もなし。
しかも、敵味方、その他の庶民も誰ひとりそれに異議、反論を差し挟まない。
どうやって話を収拾させる気かと思ったら、最後はWE社のビル内部のバルブを回し溢れた水で、
都市を水に沈めて「ノアの箱舟」状態でハッピー?エンド、となってしまった。
舞台となっている北東京市の人口は5万人以上10万人以下、との記述があったが、
地上50階建くらいのWE社本社ビルにいったい何人が避難出来たのだろうか?
避難してくる庶民達を待ったり迎えたり、っていう描写もなかったし。
ファンタジーだろうとノンフィクションだろうと構わないけど、
一回読んだだけでこうやって印象に残ってしまう矛盾点があっては駄目ですな。
中盤からの急転直下の展開と衝撃(悪い意味で)のラストは、編集社の手入れがあったのかも?
次は彼の小説を選ぶ際には、金融関係の作品を選ぼうと思います・・・。
以前読んだ作品は金融関係の小説で、銀行・金融関係で重要なキャリアを経てきた彼の知識が
存分に発揮されていて読み応え十分の作品だった。
本作「渇水都市」は何も事前情報なく図書館の書棚から拾い出した作品だったが、
ハードカバーの表紙とタイトルから「未曾有の熱波が都市を襲うパニック小説」の類だと思っていた。
だが、実際は・・・・。
*以下、ネタばれを大いに含みますので、ご覧になる方はご注意下さい。
舞台は近未来の東京。国家・地方財政状況の極度の悪化により、水道事業は民営化され
水メジャーのウォーター・エンバイロメント社(以下WE社)の管理下に置かれた。
WE社は貴重な資源となった水をビジネスの道具とし、水道代は公共サービス時の10倍にもなった。
謎の奇病「青斑病」が乳児に流行する中、WE社末端社員の海原剛、ジャーナリストの水上照美らと、
WE社社長と野心家の部下の間で環境をめぐる戦いの幕が開かれる・・・。
物語のリード部分はおおざっぱにはこんな感じで、至極まっとうに楽しめそうな作品なのだが、
中盤から話の雰囲気ががらりと変わってしまう。
ダムでの魚の大量死の原因を探りに主人公達が赴くと、主人公は突然のダムの渦巻きに呑まれてしまい、
「水の国」に連れて行かれてしまう。この時点で、あれ?そういう展開になるの?という感じだが、
主人公の海原が水の国の亡くなった王の息子、つまり次の王と明かされ、「おいおい」感は益々強まって行く。
その時点で、読む前に抱いていた作品への先入観、期待感は既になくなっており、
それに代わって「この話、どうやって終わらせるんだろう・・・」という好奇心のみで読み進むようになった。
読者の唐突感が消化する前に、主人公海原は王としての自覚に目覚め、部下達にそれらしい指示を出し始め、
途中で別れた元上司は敵方に取りこまれ天晴れな程の小物悪党になっていく。
その後も、水の国の戦士(異次元?にある水の国により選ばれた、修行僧の様な格好で戦う集団)同士でのテレパシー、
警察に追い詰められた際にはワープゾーンを作り出して脱出、などトンデモ展開は続く。
いや、もともとファンタジー路線の物語だったのなら、これが王道なのだろうか?
クライマックスでは、水の国の戦士達が悪の巣窟であるWE社本社ビルに突撃し、
子飼いの警官隊、特殊部隊とドンパチやりながら総大将を目指すという、ゲーム的な展開となる。
ちなみに、水の国の戦士の武器は波動砲なるもので、麻酔銃のようなものらしい。もう何でもあり。
総大将達との対峙の中で明かされる驚愕の真実・・・・と言いたいところだが、ここでも自分の期待は裏切られた。
なんと、WE社自体も水の王国の先王の意思で創設され、水の大切さを庶民どもに理解させるためのものだった。
散々人道的な団体(国?)であることをアピールしておいて、自分達の存在意義のためには
社会の恣意的な変革、それに伴う混乱と経済弱者の虐殺を敢行して悪びれる気配もなし。
しかも、敵味方、その他の庶民も誰ひとりそれに異議、反論を差し挟まない。
どうやって話を収拾させる気かと思ったら、最後はWE社のビル内部のバルブを回し溢れた水で、
都市を水に沈めて「ノアの箱舟」状態でハッピー?エンド、となってしまった。
舞台となっている北東京市の人口は5万人以上10万人以下、との記述があったが、
地上50階建くらいのWE社本社ビルにいったい何人が避難出来たのだろうか?
避難してくる庶民達を待ったり迎えたり、っていう描写もなかったし。
ファンタジーだろうとノンフィクションだろうと構わないけど、
一回読んだだけでこうやって印象に残ってしまう矛盾点があっては駄目ですな。
中盤からの急転直下の展開と衝撃(悪い意味で)のラストは、編集社の手入れがあったのかも?
次は彼の小説を選ぶ際には、金融関係の作品を選ぼうと思います・・・。
2011年7月4日月曜日
久しぶりにUSDJPY相場
あれやこれやとしばらく多忙で落ち着かない日々が続いていましたが、
ようやく若干平静きを取り戻せたような感じがしています。
歴史的安値に近い70円台突入もあったドル円相場について、
虚心坦懐に状況を確認しておきたいと思います。
単純に言うと、85円の方向に向かうか、再度79.50をブレイクするかですが、
今までのところは介入への警戒感もあり、下値を攻めづらい雰囲気の様です。
が、米国のデフォルトなぞもマーケットでは現実味を持って囁かれている様ですし、
「もういいだろう」の円安期待はほどほどにした方が無難かと思われます。
ドル円も歴史的安値に近いって言ったって、今日の形の外為市場の歴史なんて
まだせいぜい40年前後でしょうし、何が起こるか分かりませんよね。
そもそも、ドル円だって360円だったのが今80円になってるんだから、
これから50円になっても150円になっても何ら不思議ではない。
可能性の安易な排除っていうのは、大きな誤りの重要な要素でしょうね。
ようやく若干平静きを取り戻せたような感じがしています。
歴史的安値に近い70円台突入もあったドル円相場について、
虚心坦懐に状況を確認しておきたいと思います。
単純に言うと、85円の方向に向かうか、再度79.50をブレイクするかですが、
今までのところは介入への警戒感もあり、下値を攻めづらい雰囲気の様です。
が、米国のデフォルトなぞもマーケットでは現実味を持って囁かれている様ですし、
「もういいだろう」の円安期待はほどほどにした方が無難かと思われます。
ドル円も歴史的安値に近いって言ったって、今日の形の外為市場の歴史なんて
まだせいぜい40年前後でしょうし、何が起こるか分かりませんよね。
そもそも、ドル円だって360円だったのが今80円になってるんだから、
これから50円になっても150円になっても何ら不思議ではない。
可能性の安易な排除っていうのは、大きな誤りの重要な要素でしょうね。
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